▼今泉稲荷神社の獅子頭の手直し2025/04/22 08:43 (C) 獅子宿燻亭10
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あっという間に桜が咲き、来月24日開催の「ながい黒獅子まつり」の話も聞こえてきた。
正一位今泉稲荷神社の令和元年に制作した獅子頭が久しぶりに里帰りした。
軸棒の留めのネジが緩み外れていたのだという。
他に気になる部分もありメンテナンス入院をすることになった。
令和元年以降、コロナ禍でお祭りが休止し昨年のデビューだったという。それでも右眉の金箔
に軽い擦過傷、牙も幕に擦れて金箔が擦れていた。下顎の歯に取り付けた衝撃緩和ゲルシート
も損傷が見られる。口の中に鼻ひげや頬毛を噛んで切れたヤク毛が落ちていた。新調したての
獅子頭が長めのヤク毛を巻き込んで切れるのだろう。
獅子頭を眺めると現在制作しているフォルムより頭部が高く、現在制作している獅子の頭部を
合わせて比較すると幅は同じだが3.5cmも高い。下顎の唇も曲線で彫られで、めくれている様
に見える様に作られている。五年経過すると見え方も変わってくるものである。
今泉稲荷神社の獅子舞は總宮神社系だが、この辺の警護の衣装では珍しく神社紋入りの腹掛け
を着けている。その理由は大頭(役職名)もご存知なかったので調べてみよう。
お隣の川西町西大塚薬師堂の警護も確か腹掛けをしていた。
もともと薬師堂の獅子は白鷹の鮎貝八幡の獅子とよく似た赤獅子で練り歩く追い獅子のスタイ
ルで昭和初期まで続いたが、その後、竹田吉四郎作の畔藤(くろふじ)熊野神社型の獅子頭を
黒にした獅子を用いている。今泉稲荷神社から吉四郎作の獅子頭が譲渡されたという説もある
が、薬師堂の神殿にはこの獅子頭の奉納札が残されているのを確認している。
昭和九年に西大塚字岡の梅津藤雄氏が獅子頭の原木を奉納している記録があるが、その後
「1943年(昭和18年)大東亜戦争必勝祈願 奉納會」という奉納札があった。
獅子頭木地が奉納され吉四郎に制作の依頼がされたが、改めて戦争の影響で順延され戦時中の
9年後に獅子頭が完成し奉納されたのではないか。その吉四郎作の獅子頭は破損し、昭和39年
に南陽市法師柳の佐藤耕雲が超ヘビー級の獅子頭を制作している。
その他「弘化三年の葉山大権現堂再建 大工 渋谷嘉藏」 寺泉渋谷嘉藏は米沢笹野観
音堂の建設に関わっている。
五所神社の獅子頭も平成元年制作の兄弟獅子。
初めて黒獅子まつりで舞う令和元年生まれの今泉稲荷の獅子の晴れ姿が楽しみである。
警護の腹掛けの謎を調べていると、今泉稲荷の拝殿にあった年代不詳の例祭の記念撮影を撮影し
た写真が出てきた。警護は二人いて左手の警護の化粧廻しはずいぶん豪華で、右の警護のそれは
神社紋が入ったシンプルな化粧廻しである。裾の馬連が擦り切れている。どちらも腹掛けをして
いる。
今泉稲荷神社
西大塚薬師堂
昭和36年の記念写真
西大塚薬師堂は今泉稲荷神社から獅子舞を習った際、警護の衣装スタイルも導入したのだろう。