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▼宮崎に行ってきました

宮崎に行ってきました/

こんにちは。土木の佐々木です。

金剛ため池の完成検査の手伝いと、親戚の結婚式のため一旦山形に戻ってましたが、また九州にやって来ました。今回は、先月宮崎に後輩と行った時の模様をレポートをします。

ある日曜の朝に芦北の現場事務所に集合して、とりあえず人吉に向かいました。上の写真は人吉のジョイフルです。ジョイフルは九州のいたるところにある24hのファミレスです。ここで朝ごはんにしました。

人吉から高速に乗りました。人吉の先で高速道路は鹿児島方面と宮崎方面に分岐します。約2時間で宮崎市に到着します。高速は宮崎市につながっているので、とりあえず宮崎市内に入ります。市内はいたるところにヤシの木が生えていました。

まずは宮崎名物チキン南蛮発祥の店に行ってきました。30分ぐらい並びました。

微妙な時間に朝ごはんを食べてしまったので、チキン南蛮1皿にライス2つで後輩とシェアしました。この後、マンゴーパフェを食べる予定でしたが、お腹いっぱいすぎて断念しました。

チキン南蛮を食べた後、歩いて宮崎県庁に行きました。南国の植物と古い庁舎(昭和7年)がすごかったです。この後、車を停めたコイン駐車場がどこだったかわからなくなり、約1時間位市内をさまよいました。宮崎市の中心部はかなりの都会でした。油断しました。

気を取り直して、青島神社に行きました。ここは市内から下道で30分ぐらいです。ここもすごかったです。神社なのにジャングルみたいです。そしてなんとここは、ニニギノミコトがサクヤヒメと出会って、ヤマサチヒコとウミサチヒコが生まれた場所らしいのです。(注1)

そしてこの後、日南市に行ってモアイ像を見る予定でしたが、青島神社の駐車場の管理の女性の方と会話になり、その時にアドバイスをもらい、鵜戸神宮に行き先を変更しました。写真はモアイがある公園の入り口にあった像です。

青島神社から下道で1時間30分ぐらいで鵜戸神宮につきました。けっこうな山道を歩いていきます。この参道は江戸時代の初めには、すでに整備されていたと看板に書いてました。石のすりへり具合がすごいです。

すると岸壁に神社があります。パワースポットのパワーがすごすぎて頭痛になりました。

なんとタマヨリヒメがウガヤブキアエズノミコトを御生みになった場所らしいです。(注2)

解説

青島神社と鵜戸神宮があまりにもありがたみがあったので、家に帰って色々調べたところ、古事記にゆかりのある場所だということがわかりましたので、ざっくりと説明します。

古事記によると、最初の神様のイザナギとイザナミの子供がアマテラスとツクヨミとスサノオです。アマテラスとスサノオが喧嘩してアマテラスが閉じこもったのが天ノ岩戸で、場所は宮崎県北部にある高千穂峡です。スサノオが出雲で退治したのがヤマタノオロチでその子孫の、オオクニヌシ(オダイコク様)が国をアマテラス譲るときに建てたのが出雲大社、アマテラスの孫のニニギノミコトが3種の神器と稲穂天孫降臨してきたのが鹿児島の霧島神社の裏の高千穂峰です。同じ高千穂でも宮崎の高千穂と違う場所です。ニニギノミコトとサクヤヒメが出会ったのが(注1)の青島神社です。その子供のヤマサチヒコが竜宮城で出会ったのがタマヨリヒメで、出産のために海から上がって来たのが(注2)の鵜戸神宮です。ウガヤブキアエズノミコトの子供がイワレビコ(初代天皇)です。アエズノミコトは初代天皇の父、ヤマサチヒコは初代天皇の祖父にあたる神様です。

イワレビコが宮崎県の日向町を出て、東に向かい(神武東征)して奈良に建てたのがヤマトの国です。今から2500年前の事らしいです。ちなみに、何代か後の天皇がアマテラスを迎えるために全国を回り、紀州に行ったときに、アマテラスが私はここが良いと言ったので建てたのが、伊勢神宮です。アマテラスが一番の神様なので伊勢神宮が一番格式が高いと言われてます。また、その前後で九州で反乱があり、その反乱をおさめたのがヤマトタケルノミコトです。大きなイノシシの呪いでなくなりました。

 


2022/12/18 07:04 (C) 松隈九瀬谷14治山工事
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