▼大東亜戦争 日本は勝利の方程式を持っていた2023/05/12 12:39 (C) 製造業で働く
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「大東亜戦争 日本は勝利の方程式を持っていた」(茂木弘道著、ハート出版)と言う本を読んだので紹介します。
日本は、無謀な太平洋戦争に入って行ったと戦後の歴史で学んできたが、実は勝てる戦略として「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」を持っていた。日本は侵略戦争をしたのか?コミンテルンの敗戦革命狙いの世界戦争介入は、ヴェノナ文書で確認されている。米上院軍事外交合同委員会におけるマッカーサー証言では、日本が戦争に飛び込んで行った動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった。日本との戦争の全ては、戦争に入りたいと言う狂人(ルーズベルト)の欲望であった。(フーバー大統領)
対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案とは、言わば戦争遂行のプロジェクト案と言える。方針1は、速やかに極東における米英蘭の根拠を覆滅して自存自衛を確立する。蔣介石政権の屈伏=汪兆銘・蔣介石連合政権を樹立する。独伊と提携して先ず英の屈伏を図る。方針2は、極力戦争相手の拡大を防止し第3国の利導に勉む。重要資源地域ならびに主要交通線を確保して長期持久の体制を整う。大東亜戦争と命名した通り、アジアを戦場とする計画だった。この戦略の基に、細かな戦術が考えられた。
戦術として要領1は、あらゆる手段を尽くして適時米海軍を誘致しこれを撃滅するに勉める。要領2(1)は、オーストラリア・インドとイギリスの連鎖を遮断し、イギリスからの離反を策す。ビルマの独立を促進し、その成果を利導してインド独立を刺激する。要領2(2)は、独伊には、近東、北アフリア、スエズ作戦を実施すると共に、インドに対し施策を行う。対英封鎖を強化する。情勢これを許すに至れば、英本土上陸作戦を実施する。要領2(3)は、3国で協力して行うことは、インド洋を通ずる三国間の連絡提携に勉める。海上作戦を強化する。占領地資源の対英流出を禁絶する。
要領3は、日独伊が協力してアメリカの戦意を喪失させる。要領3(1)は、比島の取扱いは差し当たり現政権を存続させることとし、戦争終末促進に資するよう考慮する。対米通商破壊戦を徹底する。支那および南洋資源の対米流出を禁絶する。対米宣伝謀略を強化する。その重点を米海軍主力の極東への誘致ならびに米極東政策の反省と日米戦無意義指摘に置き、米国世論の厭戦気分の誘致に導く。米豪関係の離隔を図る。要領3(2)は、独伊には、大西洋およびインド洋方面における対米海上攻勢を強化する。中南米に対する軍事・経済・政治的攻勢を強化する。
要領4は、支那に対しては、対英米蘭戦争、特にその作戦の成果を活用して援蒋を禁絶し、抗戦力の減殺を図り、在支租界の把握、南洋華僑の利導、作戦の強化等、政戦略の手段を積極化し、以って重慶政権の屈伏を促進する。
要領5は、帝国は南方に対する作戦間、極力対ソ戦争の惹起を防止するに勉める。独ソ両国の意向に拠って両国を講和させ、ソ連を枢軸側に引き入れ、他方日蘇関係を調整しつつ場合に拠っては、ソ連のインド・イラン方面進出を助長することを考慮する。
要領6は、仏印に対しては現施策を続行し、タイに対しては対英失地回復を以って帝国の施策に協調するよう誘導する。
要領7は、常時戦局の推移、国際情勢、敵国民心の動向等に対し厳密なる監視考察を加えつつ、戦争終結のため下記の機会を補足するに勉める。南方に対する作戦の主要段落。支那に対する作戦の主要段落、特に蔣政権の屈伏。欧州戦局の情勢変化の好機、特に英本土の没落、独ソ戦の終末、対インド施策を成功させる。
実際的シミュレーションにより、勝利の証明できた。
なぜ勝利の戦略が実現できなかったのか?ミッドウェー作戦、ニューギニア派兵、真珠湾攻撃の戦術的成功と戦略的失敗、ガダルカナル島への陸軍投入、海軍の誇大戦果発表など、様々な想定外による。
秋丸機関と歴史の偽造された。腹案に沿った戦いをすれば勝てた。杉山参謀総長が国策に反すると焼却命令を出した。
日米戦争の全ては、戦争に入りたい狂人ルーズベルト大統領によって、巧みに真珠湾攻撃の罠を仕掛けられ、山本五十六司令長官がそれにまんまと嵌まってしまったことから始まったと言える。