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▼上杉景勝(うえすぎかげかつ)

弘治元年(1555)〜元和9年(1623)
 坂戸城主・長尾政景の次男として生まれた。父・政景が死去すると、春日山城に移って叔父・上杉謙信の養子となった。天正6年(1578)謙信が急死すると、謙信のもう一人の養子・上杉景虎との間で相続争いが勃発。この御館の乱に勝利し、上杉家当主の座についた。
 その後、豊臣秀吉に臣従、関係強化に努めた。のちに五大老の一人に列せられた。慶長3年(1598)、会津120万石に加増移封され、会津若松城主となった。
 秀吉の死後、台頭してきた徳川家康と対立。家康は上杉征伐の軍勢を催し、下野国小山まで出陣したものの、上方で石田三成らが挙兵したことを知ると、軍勢を反転。腹心の直江兼続が追撃を主張したものの、景勝はこれを聞き入れなかった。
 関ヶ原の戦いの後は、米沢30万石に削封され、米沢藩初代藩主となった。大坂冬の陣では、徳川方として参戦、先鋒として鴫野の戦いで勝利を収めた。元和9年(1623)、米沢城で死去。享年69。

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