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▼インドアの数日

インドアの数日/
我が家の入り口には冗談の看板がある。
新築以来づっとくっついているのである。


天候が回復しない。
雨風が強く、外に出ようにもその上に寒いのである。

ぶどうの剪定もできない。両手を頭上にかざし作業を行うので、雨しずくが腕を伝って身体を濡らしてしまう。寒い中喜んでずぶぬれになるほどに仕事熱心ではないし。

魚釣りなら、こんな状況でも出かけるのだが、渓流は禁漁である。鴨捕りに出かけるには好まない。

仕方がないので、炬燵に刺さって本を読む。
最近骨折のギプスがとれた猫の「しろ」がまとわりついてくる。
石膏生活から解放され、自由の身を得た「しろ」はうるさい。
あちこち走りまわり、飾ってあるヤマドリのしっぽをぐちゃぐちゃにし、食べている。疲れるとおいらに身体を接触させて寝るのである。

20年以上前の本の読みなおしである。
家族ができ、生活に追われ、新しい本を買うゆとりがない。
子供に買い与える絵本も、15ページほどの物でも1000円くらいする。
おいらは、新聞と古い本を何度も読み直す事で我慢している。

このところ、カヌー漕ぎの野田知佑氏の本を2冊同時に交互に読んでいる。
彼の本は面白いのだが、若いころはただただ楽しかったが、35歳を超えるころから悲しみを感じ虚しさが募るので、読まずにいたのである。
昔の、まだ俺の幼いころの記憶に残る、美しい頃の日本の川の事、それを愛しやまない氏の思いが、現代の川を見るにつけ切ないのである。
 氏に限らず、川を愛する俺たち野蛮人に、日本の川は悲しい。
そして、日本の山も切ない。

日本の自然が切ないのである。

熊が出る。
山形県では目撃が昨年の8倍、人身被害8件だそうだ。

近所の通学路には、昨日も今日も脇の柿を喰っている痕跡が盛大にあるが。
どれほどの人々が関心を持ってそれを認識し、観察しているのだろうか。

奴は、柿を喰っているだけで人に悪さはしないだろう。
人がちょっかい出したり、不幸にも彼を驚かすような事があればその限りではないのであるが、奴にしても、人間と出会わないように、毎日山から通勤してきているのだ。
人間との積極的交流を避け、静かに彼は彼の欲求と空腹を満たし、静かにねぐらに帰るのである。
人里に熊があんまり頻繁に出てくるのもぞっとしなくはないが、これも美しいしぜんであると思う。

くまは、熊の知能で人間を認識し、ささやかに行動している。

いろんな状況で、農林被害の甚大なものなどあり、一概に熊の味方ばかりしていられない状況でもあるが、ぶどうや、柿、リンゴ、など人間が守れるものは守らなくてはならない。いらなくて、放置してあれば、猿だってカラスだって、クマだって食べるさそれ。
彼らは自由に歩き、自由に行動するのであるから、うまいものがあればそこに出かけ食べちゃうのである。
美味いラーメン屋の情報を聞き、時間をかけて出かけ、店の前に行列を作りかなりの時間待たされそれでもその一杯を喰わねばならぬ、というその行動と良く似ているではないか。


もし、衛生管理された犬が数多く放し飼いであったら、熊は里にやってこない。
命令を聞く犬では役に立たないのである。独立した意思を持ち、自分と主人や地域と自分(犬)の関係を理解した犬でないと、この役はこなせないのである。
要は、飼い主はあり、主従する存在があり、守るべき地域の人たちから愛されることによって、犬たちはその縄張りを認識し、動物的本能によって里を守るのである。
そこいらの、何も分らん頭でっかちの学者が言う通りにはならんのである。
そして、訓練された犬は命令がないと動けないのである。

(あらゆる多面的な角度から検証し経験に裏打ちされた行動は、科学など及ばぬ精霊の力さえ得るのである。そんな日本が過去存在していたのである。)

しかし、動物との接し方を間違って教えられた人々の管理する犬であれば、その脅威は、熊よりも大きいのである。
一匹足りと鎖に繋がれた熊はいない。
彼らとの事故がどれほどあったのか。
一方、時々鎖から放たれた犬が人を襲う話は良く聞く。

要は、熊よりあほな犬の方が危険であるという事である。
そして、あほじゃない犬を地域に放てば、熊も猿も滅多に里には来ないのである。
あほな犬が多いから、犬を鎖につなぐ事が求められ、田舎でさえそれを粛々と実行し、高齢化と過疎とその他楢山節に近い生活体系と自然への無関心が巻き起こす熊&人間問題なのである。

びっくりしなさんな。
町で人に出会うと、俺をマタギと知って「熊大丈夫かい?あぶなくないの?」
と、町付近に出るくまについてよく聞かれるのだが。
びっくりしなさんな。鎖でつないで飼ってる訳じゃないから、そりゃぁちょくちょく出るさぁ、今年はたまたま目立つだけさ・・・・・・。


自然を知ろうよ。  知れば怖さは薄らぎ、対策を知る事になる。
自然を愛そうよ。  愛せば、それをより深く知り、自分の一部に出来るだろう。

町民憲章高畠町町民憲章などを暗唱したって、それが自分の身体の一部にならなきゃ、葬式にど派手なイヤリングやネックレス、ブレスレットつけて、歌舞伎役者みたいなど派手な化粧してくるKYな御仁の飾りと一緒って事だ。

自然、自然なんて言葉に出さなくったていいから、それを知ってくれ。
そして、毎日出かける前に、山や川や空を眺めて深呼吸しようぜ。
観察しようぜ。昨日と今日で、空気の香りが違う事に気づくよきっと。


追記:
こんな熊を大事にするみたいな事言っても、わたしは熊を捕るマタギである。
あと幾日かすれば、熊猟も解禁を迎え、毎日熊を追う生活になる。
しかし、俺は、生きている間、そして子供たちや孫その孫・・・まで、こんな環境(熊と付き合える自然)を残してやりたいと思っている。

大変な思いをして、命に関わるような危険を乗り越え、鍛錬を積み山を知り自然を知り、そして熊と知恵、体力、運の勝負をして、勝ち得るもの。

しかし、この熊と関わり得た知識や能力は、いかなる学習によっても得る事は出来ないだろうし、何人でもまねできる事の出来ない財産であると思う。
熊と関わる事によってのみ地球から教えられるものなのである。
そして、その原理と取得方法を絶やしたのなら、小さくはあるが、人間と自然が共存する財産を失う事であると思う。
熊を追うという厳しさの中に、私は熊に対する優しさ、愛おしさを見る。

熊は捕るが、熊を守りたい。
それが俺の生き方である。
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