ヤマガタンver9 > 星空の下で(4)

Powered by samidare

▼星空の下で(4)

「松田熱燗もらおうか、加藤も酒にするか」私がそう声を
掛けると、この二人の酒豪は「そろそろ日本酒もいいね」
とかなりビールを飲んだのに、ケロッとした顔で「女将さん
熱燗一つ」と襖越しに声を掛ける。
高校時代平井にとって、冬季間の夜の通学は実家からは、無理で
町中の農家の物置小屋の二階を、借りて通学していた。
当然台所などなく、火を使うことを禁じられていたから、
朝食は前日会社の社員食堂でコッペパンと牛乳。昼食は社員
食堂、夜は会社社員食堂で、夜勤勤務のある会社なので
夜8時ごろまでは、社員食堂も開いていた時代でした。
勿論火気厳禁であったから、炬燵もなし一時的に夜はドライヤーで
布団を暖め、厚着をして眠る毎日であった。
松田も当時市内の文房具屋に、丁稚奉公しながら努めていたので
そこの旦那と奥さんが、我が子同様に扱ってくれていて
時々平井も冬季間夕飯を、ご馳走に松田の部屋を音連れていた
松田も中々胆の据わった男で、11月の中頃まで少し黄ばんだ
ワイシャツ姿で、通学していた。学生服を持ってないわけでなく
四年間ピンとした一着で、もたせたい。クリーニングも
最小限度にして、卒業時に学生服も心も初志の気持ちで
迎えたいと、良く語っていて高校卒業は通過点に過ぎない
もっと、もっと上の学校を目指したい。と語っていました。
彼は元々は、寒村のお寺の息子であったが、両親の死去のあと
寺を出なくてはならなくなり、丁稚奉公しながらの通学の
道を歩んでいたのでした。後に大学に進み大学院や留学を得て
経済博士号を取得し、有名企業の海外担当取り締まりまで
なるのであるが、このときはクラスでも変わり者扱いで
あったことは間違いありませんでした。確かに当時は
クラスでもトップくらいの努力家で、あまり頭が優秀だとは
思わなかったのですが、卒業時にはとてもかなわないくらい
理論家になっていたのは、間違いなかったです。

2011/10/24 14:36 (C) 株式会社吉田製作所
(C) Stepup Communications Co.,LTD. All Rights Reserved Powered by samidare. System:enterpriz [network media]
ページTOPへ戻る