ヤマガタンver9 > 寒い一日だったなぁ

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▼寒い一日だったなぁ

寒い一日だったなぁ/
まぁ、寒い一日だった。

剪定仕事も冬装束で行った訳である。
ニットのシャッポにMA1ジャケット。軍手に皮手袋を重ねての重装備。
それでも時々雨が降り、強風にあおられ仕事が中断する。

小雨が降りだすと、カメラを持って山方面へと足が向く。

紅葉は、綺麗な紅葉である、とは言えない。
いまひとつパッとしないところがある。
赤が足りないのか、黄色が鮮やかでないのか、そのどちらでもあるのか・・。


堰堤の溜まりには「コガモ」が佇む。


飛来する鴨を、コンパクトデジカメで写すのは至難の業だ・・・
数枚撮って、何とか写っているのが1枚だけだった。
画面になかったり、白とびして空に同化しちゃったり。



親友が向こうの岸に渡ってしまってから1年立った。
早い。

夕刻、暗くなり車のライトが必要になった頃、缶ビールを持って、彼のお墓に向かった。
自宅には顔を出していない。パフォーマンスじゃないから、生きている人間にお参りに行ってきました、などと言って自分を売るような素直な性格じゃないものだから、お墓に頭を垂れ、ビールと火を点けた煙草を供えただけである。



今日はこれから、町の害獣駆除・パトロールで終日の予定だ。
各地区の猟友会会員と町の職員が毎週木曜日、交代でパトロールをする。

主にニホンザルの駆除な訳だが、発見し、捕殺可能なら銃を向ける。

出来るならば撃ちたくはないのだが、それによる農産物被害はひどく、また、同じ農業者としてその気持ちは十分に理解できる。

撃たなくて済む方法があるのならば、良い知恵や実効的な対策、それに関わる費用などの面で救済があれば良いのだが。

遠くから眺めているだけで、殺生はいかんとか、動物保護だ、とか言うだけでは、人間同士の摩擦になるだけで、動物の保護にはならない。
実効的な行動があってこそ、お互いの理解が深まると言うものである。

その先に、初めて被害農家の痛みの理解・救済と、動物の命の理解・救済があるのだろう。

私自信、クマを追う猟師である。
四国・中国地方ではクマの生存が危機的状況である事や、中部・東日本でさえ、計画的な管理された狩猟・駆除を行わないと絶滅に瀕する危機があると理解している。

クマが好きだし、クマを狩る事もまた、俺の命に活力と精神と神の自然の何たるかを教えてくれる。

それらと、未来的に、共にあれる事が望ましいのである。
いつまでも、クマをはじめとする野生動物たちと、ある時は戦い、ある時は友として、この自然に抱かれた日本という国の上にありたいのである。

共生ではなく、共に死ねる事。
すべてが天寿を全うし、大地に還れる事が望ましい。
その過程で、命の受け渡しとなるやり取りがあっていい訳である。

放射能は、そんな細やかながら激しい、命のやり取りさえ拒絶させるのである。




さて、これからサルを殺さなければならない仕事に出かける訳だが。
願わくば、人里に出なんで欲しいものだ。俺の前や、農家の畑荒らしはやめて、山のドングリとかで我慢していて欲しいものだ。
俺たちは、好んでサルを撃とうなんて気はないのだから。

▼やがて雪

夢を見ている時は、これが夢だと言う実感はないものですよね。
(たまに解ってしまう時もありますが)

果たして今は起きているのか眠って夢を見ているのか疑わしく思う時があります。

あの世とは実はこの世の事であり、生きていると言うことも幻想ではないのかと、とりとめもなく思うのです。
夢であって欲しいと言う出来事があったので、尚さらなのかも知れません。
移ろい行く季節はまるでこの世のものとは思えない程美しく胸に迫ります。
もしもこれが夢ならば、せめて良い夢が見たいものです。

整理出来る問題と出来ない問題を考え続ける事が生きる事なのでしょうか。
2011/10/27 23:29:月の人
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