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▼上杉勢との激戦となった朝日川(水口楯)

上杉勢との激戦となった朝日川(水口楯)/
 慶長出羽合戦の折、千人の上杉勢は朝日町の五百川城(城主/望月隼人)攻略に16日もかかり、長谷堂合戦への参戦に遅れたと考えられます。水口楯の前を流れる朝日川はその最初の激戦地。「上杉越羽軍記」によると、赤見外記、北条右近、中条與次(鮎貝城主)ら上杉勢は、増水した朝日川を挟み望月隼人勢と、鉄砲の打ち合いとなりました。赤見外記が朝日川を渡ろうとするのを見た上杉勢の地下馬上 伊藤豊後(中津川)が、真っ先に渡り、命を投げ打って大勢に切り掛かり突破口を開いた武勇伝が残っています。水口楯を突破した上杉勢は西船渡にあった若宮寺を焼き払い五百川城(八ッ沼城)へ向かいました。
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