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▼越中富山を旅する‐其の1

越中富山を旅する‐其の1/

米沢を出たのが深夜3時。NHK第一のラジオ深夜便を聞きながら車を走らせる。
小松、飯豊、小国、坂町の順に米坂線を辿っていく。新潟から北陸道へ。

新潟は長く遠い。やっと富山へ入って越中境で朝食。白海老かき揚げ蕎麦を頂く。蕎麦は信州風の黒くて平べったいもので、汁はあくまでも濃く甘い。この辺とは全く違った味であったがそれはそれで美味しく頂けた。ここで約30分ほど仮眠、気持ちよくまどろむ。

目的地は友人宅で富山市の手前にある上市町。なぜここに行こうと思ったと言えば、いつもその友人は私がやっているバンドに駆けつけてくれるのだが、彼がどのようなところに住んでいるのか興味があったのだ。そして彼が新居を建てたというのでお祝いに行くことにした。

ところが聞いていた住所を携帯のナビに入れたが、その家が見つからない。居たのは一羽のダチョウだ????それでも近くにある新しい家を見当を付けて訪ねたら、大当たり!

早速お宅拝見、シンプルではあるが、随所に彼のこだわりが感じられ本当に立派なお家だった。その後2か所ほど仕事上の視察を終えて昼食は回転寿司でパクパク頂く。

それから今回のメーンイベントである富山ライトレール、通称ポートラムに試乗をすることになった。元々は冨岩鉄道という私鉄で、その後富山地方鉄道に合併、そして国鉄に編入され富山港線として2006年まで通常の鉄道として営業していたのだが、路面電車化(LRT)して現在に至る路線なのだ。富山駅北から岩瀬浜までの7.6キロの短い区間である。

国鉄時代最盛期には年間500万人もの利用客があったが、自動車交通の進展により利用者が激減、車両や駅舎の老朽化、運転本数の減少により更に利用者が減少する負のスパイラルに陥っていた。だが、北陸新幹線富山駅などの整備に合わせて、再生を図るため路面電車に変更されたのだ。

なぜ路面電車化されたのか?路面電車化がどういうメリットがあるのかを考えてみたい。まず路面電車はワンオペでそこそこの人数(座席28人、立席52人)を運ぶことが出来る。LRTは従来の路面電車よりも低床で、線路から約30センチである。それによってホームが低く作られゆるやかなスロープは高齢者や車椅子・ベビーカー利用者でも安心して乗降できるのが大きな特徴だ。

また以前の富山港線時代は朝夕の通勤通学時間帯以外の日中は約1時間間隔ぐらいだったのが、現在は日中でも15分間隔となっており、少し待てば次の電車が来る。ほかにもICカードを使えば割引もあり、高齢者はカードを使うことで半額になる。今後富山地方鉄道市内線との相互乗り入れも検討されており、今後も発展を考える鉄道なのだ。

なぜこの鉄道に乗りたかったのかと言えば、自分の町に何か役に立つヒントが隠されていないかどうかということだ。例えば米坂線をLRT化したらと、、、、。難しいのはまず電化が基本条件になるのだが、不思議に南米沢も西米沢も、そして米沢駅もターミナルなのに何故か街らしい街がが形成されなかったということだ。今でも高校生の降りる場所としてしか機能していない。なぜだろうか。

等と考えつつ、今エボラ治療薬で駿の会社「富山化学」を右に見て、競輪場を過ぎると終点岩瀬浜駅。北前船が出入りする大きな港だった街には多くの海鮮問屋が軒を連ねていた話はまた次回。

 

 

 

 

 


2014/11/19 16:19 (C) 珈琲豆屋です!
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