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▼Annual Report 2006 ー〈語り〉から生じる記憶の溜まりー

Annual Report 2006 ー〈語り〉から生じる記憶の溜まりー/
『TUAD AS MUSEUM : Annual Report 2006/2006年度東北芸術工科大学美術館大学構想年報』
[発行日] 2007年6月13日
[編集・発行] 東北芸術工科大学美術館大学構想室
[印刷]田宮印刷株式会社
[判型] B5判、92ページ、モノクロ版(カラーグラビア16ページ)
[発行部数] 1,000部
[デザイン]JEYONE(鈴木敏志+奥山千賀)
※表紙写真は西雅秋氏によるコミッションワーク『DEATH MATCH(彫刻風土/山形)』の断片。カラーグラビアには吉増剛造氏による書き下ろし詩文『佃新報』を見開きで掲載した。目眩のするような言葉の鮮烈な羅列…。
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遅ればせながら、6月になって2006年度の美術館大学構想事業のアニュアル・レポートを発行しました。
2005年度は卒業制作展の時期(2月)に編集作業に勤しんでいたので、年度内に無事発行したのですが、昨年は年度末ギリギリまで、卒展の後始末やら『New Face at TUAD』展の準備やらで着手できず、大幅に遅れてしまいました。
勿論、今もいろいろ同時進行しているプロジェクトがあって、あまり過去を振り返っている余裕はないのですが、構想室の仕事がいかに人的にも予算的にも自転車操業であっても、このレポートの編集作業には最善を尽くさなければなりません。

なぜなら、僕たちの美術館大学構想は、高価な作品のコレクションよりも、展覧会やシンポジウムなどの、無形のソフト事業にこそ力を注いでいますから、「モノ」としての記録は残っていかないのです。その分、こういうレポートを年度毎にきちんとまとめておかないと、せいぜい30年もすれば「何も起こらなかった」ことになってしまうでしょうし(寂しい)。素人なりに大変ですが、このささやかな編集・出版業務は、そういう「時の忘却性」との闘いでもあるのです。

さて本誌『TUAD AS MUSEUM : Annual Report 2006/2006年度東北芸術工科大学美術館大学構想年報』は、(前回のレポートもそうでしたが)所謂、大学の「研究紀要」よりも、ギャラリートークや作品レヴュー、滞在制作のドキュメントノート、作家インタビューなどの採録を中心に構成し、口語体でスイスイ読める、雑誌的な冊子づくりを目指しています。学生が読むものでもありますし。

執筆陣は、酒井忠康氏(美術評論家)をはじめ、吉増剛造氏(詩人)、赤坂憲雄氏(民俗学者)、茂木健一郎氏(脳科学者)、鎌田東二氏(宗教学者)、西雅秋氏(彫刻家)、宮島達男氏(現代美術家)、竹内昌義氏(建築家)など超豪華な顔ぶれで、「美術館は港(=様々な人、作品、情報が出たり入ったりして交流する場)」という酒井氏のポリシーを体現する、多様な表現・研究領域が交流した「語り」の記録集となっています。

皆さん、それぞれに文章のプロフェッショナルですから、こちら側のまとめ方が悪くて紙面構成を台無しにしてしまわないようにと、常にプレッシャーを感じながら編集を進めましたが、その中でも特に、「語りの場」でしばしば生じる、思考の「どもって」いる状態というか、対話の間が良い意味で「詰まる」感じのリアリティーを、どのように文面に残すかに苦心しました。

例えば、シンポジウム『神秘の樹と明日の鳥たち ー詩・旅・思索ー』で、詩人の吉増剛造氏が柳田國男についてこんなふうに語っていました。
「…そのときにね、民俗とか、昔話ではなくて、今日のシンポジウムもそうですけれど、何度も聞いて、話を重ねていく作業によって、物語にある種の「溜り」ができていく。それを〈記録〉とか〈記憶〉とか名付ける必要はなくて、語ることを重ねていくことで、様々な学問の境目が消えていくかもしれない。あるいは他人の記憶を今一度たどり直してみるとかね。そういうことの、とても珍しく、良い例として、柳田國男の存在や著作があるというふうに、私は思うわけです。」
このニュアンス。
それぞれの持つ知識が出会い、ぶつかることで「詰まり」ながら照応し、次の命題へと開いていくような感覚。
対話において、じっと考え込む時間や、会話の余白的な逸脱こそが、テーマの本質を補足し、問題の共有を全体に高めるような気がするのです。(茂木健一郎さんなら「解らない時間の方が、脳が活性化されているのですよ!」とおっしゃるのでしょうが)

文章では、こういうある種の凪状態に陥りながら充実していく沈黙や逸脱を、リズムよく記録していく事はなかなか難しい。シンポジウム『神秘の樹と明日の鳥たち ー詩・旅・思索ー』の採録では、日本を代表する詩人と美術評論家と民俗学者が、それぞれに蓄えてきた蛸壺的な理論や蘊蓄の応酬ではなく、それぞれの「知」の境目を「語り」によって意識的に溶解させていくことで、互いに詩的な感応力を引き出していくプロセスを追体験しているような印象がありました。

現代生活では、メールやブログ(未だに書くのが苦手で気後れしますが…)など、ネットを介した言語情報のやり取りなしに、仕事は成立しなくなっていますが、一方で、やはり直接に巡り会って、それぞれの身体(声、表情、仕草、眼差し)を抱えながら語ったり、聞いたりしていかないと、本当に染みていかない知識や言葉の作用があると、編集の過程でつくづく感じました。

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本誌は、全国の美術館や大学に献本される少部数の限定本で販売はしませんが、ちかく美術館大学構想HP上でPDFデータで閲覧できるようにします。どうぞお楽しみに。
また、学生の皆さんは、図書館で借りられますのでぜひ読んでください。そこには、今、東北で表現を模索する僕たち自身のことが語られています。
それから、もしこのブログを読んで興味を持たれた美術関係機関の方、ぜひHP上の入稿フォームから美術館大学構想室までご一報ください。メーリングリストに加えさせていただきます。

宮本武典/美術館大学構想室学芸員


2007/06/11 19:45 (C) 美術館大学構想
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